『あいだ』での連載

「あいだのすみっこ不定期漫遊連載」2002年3月~2022年3月 全145回

No.内容資料
2022145「待っているうちに来てしまった寅年のために」『あいだ』第260号 2022年3月20日 20-30頁 最終回PDF
2021144「おちぼひろい ( 2 ) 人間心理の深層を担う動物形象――日本美術のなかの牛――牧童歸去横牛背,短笛無腔信口吹」『あいだ』第259号 2021年11月20日 17-29頁PDF
2021143「おちぼひろい ( 1 ) 習合・怪異・協和――日本美術のなかの子=鼠」『あいだ』第258号 2021年8月20日 23-31頁PDF
2021142「「あいだ」の哲学に向けて くもの巣の「穴」をねらう:人文知の再定義と復権のために 藝術行為再考に向けた,暫定的な覚え書き(下)」『あいだ』第257号 2021年3月20日 28-33頁PDF
2020141「「あいだ」の哲学に向けてくもの巣の「穴」をねらう:人文知の再定義と復権のために 藝術行為再考に向けた,暫定的な覚え書き(中)」『あいだ』第256号 2020年11月20日 28-35頁PDF
2020140「「あいだ」の哲学に向けて:人文知の再定義と復権のために 藝術行為再考に向けた,暫定的な覚え書き(上)」『あいだ』第255号 2020年9月20日 12-21頁PDF
2020139「「いかのぼり きのふの空の ありどころ」天と地の「あいだ」を繋いで漂う霊のありか 旧暦の正月を迎えて――新型コロナ・ウィルス禍のさなかに」『あいだ』第254号 2020年3月20日 19-27頁PDF
2020138「マルローと世界美術史の構想 国際シンポジウム「アンドレ・マルロー再考——その領域横断的思考の今日的意義」」『あいだ』第253号 2020年2月20日 12-23頁PDF
2019137「ヴェトナム美術の近代とは何だったのか:二村淳子『安南藝術からベトナム美術へ:フランス統治下の半世紀』を通して」『あいだ』第252号 2019年11月20日 18-26頁PDF
2019136「山本芳翠・原田直次郎・黒田清輝:世界油彩美術史における19世紀末極東の位置:国際シンポジウム「美術の19世紀:ドイツと日本」から(2016年5月8日、神奈川県立近代美術館、葉山)」『あいだ』第250号 2019年8月20日 20-35頁PDF
2019135「経験美学とその周縁:詩の受容経験・脳内映像形成との関係から―「神経系人文学と経験美学」における「基調講演:美学,経験美学,イメージ学の邂逅」を聴いて」『あいだ』第249号 2019年7月20日 18-31頁PDF
2019134「「Litoral & Off Shore:海と陸とのあいだ」:海洋アジア Oceanic Asia にむけた国民国家制度の解体と海賊行為の問い直しと:8年ぶりにAAS北米アジア学会総会に参加して」『あいだ』第248号 2019年6月20日 28-44頁PDF
2019133「平成末年記念:令和元年 日本美術のなかの猪 己亥(つちのと・い)-日本の絵画・造形における猪」『あいだ』第247号 2019年5月20日 21-27頁PDF
2019132「冬のパリ・日本趣味関係美術展示の瞥見:装飾美術館「Japon/Japonismes 2018」展への批判的備忘録」『あいだ』第246号 2019年3月20日 10-19頁PDF
2019131「日本美術と中国美術の〈あいだ〉(下)石橋財団国際シンポジウム(2018年11月2-4日)に出席して」『あいだ』第245号 2019年1月20日 23-31頁PDF
2018130「日本美術と中国美術の〈あいだ〉(上)石橋財団国際シンポジウム(2018年11月2-4日)に出席して」『あいだ』第244号 2018年12月20日 35-43頁PDF
2018129「建国神話の海外受容から戦前期の海外日本展示へ:日仏美術学会・関西例会でのコメントから」『あいだ』第243号 2018年10月20日 29-39頁 PDF
2018128「【書評】柳沢史明 『〈二グロ芸術〉の思想文化史:フランス美術界からネグリチュードへ』黒人アフリカ世界の立体造形とその言説的観念史:二グロ表象におけるトランス・アトランティックな「支配と抵抗のポリティクス」」『あいだ』第242号 2018年9月20日 14-18頁PDF
2018127「A.K.クーマラスワーミの事績からアジアを再考する(下):ダッカ・アート・サミット DAS 2018 (2018年2月8日-10日)に招待されて」『あいだ』第241号 2018年7月20日 26-35頁PDF
2018126「A.K.クーマラスワーミの事績からアジアを再考する(上):ダッカ・アート・サミット DAS 2018 (2018年2月8日-10日)に招待されて」『あいだ』第240号 2018年6月20日 10-14頁PDF
2018125「日本画の前衛を戦後世界美術史に定位する:マシュー・ラーキングの『パン・リアル・戦後日本画の前衛』博士論文公開発表会より」『あいだ』第239号 2018年4月20日 34-38頁PDF
2018124「日本美術における戌:犬ー干支シリーズ」『あいだ』第238号 2018年2月20日 26-35頁PDF
2018123「月の桂に時雨の気配……桂離宮に宿る地霊を謡曲の詞章に探る」『あいだ』第237号 2018年1月20日 33-39頁PDF
2017122「豪奢と静寂と遊蕩の果てに:第57回ヴェネツィア・ビエンナーレ瞥見」『あいだ』第236号 2017年11月20日 16-25頁PDF
2017121「オックスフォード・穴窯プロジェクト:世界に行脚する懐石と英国で窯焚きした備前焼」『あいだ』第234号 2017年8月20日 28-31頁PDF
2017120「日本における酉」『あいだ』第232号 2017年4月20日 19-26頁PDF
2017119「ナム・ジュン・パイクと仏教思想:「没後10年2020年 笑っているのは誰? ?+?=?」展より」『あいだ』第231号 2017年1月20日 2-14頁PDF
2016118「去勢・不能から瞬時性と輪廻転生、さらには可能世界の濃度計測へ:脱戦後日本美術に関する断片的な覚書(後)」『あいだ』第229号 2016年10月20日 23-29頁PDF
2016117「去勢・不能から瞬時性と輪廻転生、さらには可能世界の濃度計測へ:脱戦後日本美術に関する断片的な覚書(前)」『あいだ』第228号 2016年9月20日 22-26頁PDF
2016116「幽霊の蘇生:お化けをいかにしてよみがえらせられるか?:全球的な知覚から近代性を問い直す:モダニティーを振り返って再定義し,デジタル化されたグローバル尺度モデルを修正する(後)」『あいだ』第227号 2016年7月20日 14-21頁PDF
2016115「幽霊の蘇生:お化けをいかにしてよみがえらせられるか?:全球的な知覚から近代性を問い直す:モダニティーを振り返って再定義し,デジタル化されたグローバル尺度モデルを修正する(前)」『あいだ』第226号 2016年5月20日 18-27頁PDF
2016114「見知らぬ島へ:竹久夢二の夢とあこがれ:竹久夢二学会の旗揚げに寄せて」『あいだ』第225号 2016年4月20日 10-17頁 PDF
2016113「日本美術における猿:申年も立春を迎えるころに」『あいだ』224号 2016年3月20日 26-31頁PDF
2016112「世界制覇の夢と離散状況と「日本およびアジア地域におけるグローバル・アートとディアスポラ・アート」より(後)」『あいだ』第223号 2016年2月20日 37-44頁PDF
2016111「世界制覇の夢と離散状況と「日本およびアジア地域におけるグローバル・アートとディアスポラ・アート」より(前)」『あいだ』第222号 2016年1月20日 24-29頁PDF
2015110「生けるイメージと文字の死相と:「グローバル時代の東アジアの文化表象」から:応答にそった議論総括と方法論的反省」(後)『あいだ』第221号 2015年6月20日 5-9頁PDF
2015109「生けるイメージと文字の死相と:「グローバル時代の東アジアの文化表象」から:応答にそった議論総括と方法論的反省」『あいだ』第220号 2015年4月20日 18-22頁PDF
2015108「十二支 未:「牧畜の異郷」の家畜:日本美術における羊と、その代理としての山羊」『あいだ』第219号 2015年3月20日 18-23頁PDF
2015107「生皮を剥がれた《バッタもん》:烙印と脱皮あるいはグローバル時代の商標と複製権 赤瀬川原平に捧げる:漢陽大学校「グローバル時代と東アジアの表象」会議(2015年2月6-7日)より」『あいだ』第218号 2015年2月20日 32-35頁PDF
2014106「「あいだ」はどこから出現したのか?「あいだ」には何が堆積するのか?:日本の木造建築をめぐるふたつの国際シンポジウムから(下)」『あいだ』第217号 2014年11月20日 25-29頁PDF
2014105「「あいだ」はどこから出現したのか?「あいだ」には何が堆積するのか?:日本の木造建築をめぐるふたつの国際シンポジウムから(上)」『あいだ』第216号 2014年10月20日 22-25頁PDF
2014104「あやうい未成熟な少女は宗教画の原点を・・・ 神聖sacré 犠牲sacrificeそして冒瀆sacrilège」『あいだ』第215号 2014年9月20日 17-22頁PDF
2014103「アウトサイダー・アートとアール・ブリュットとのあいだ(後)」『あいだ』第214号 2014年7月20日 25-29頁PDF
2014102「アウトサイダー・アートとアール・ブリュットとのあいだ」『あいだ』第213号 2014年6月20日 23-28頁PDF
2014101「60年代ポップ・アートとは何だったのか。 広告産業の構造的変貌の関数としての民衆図像」『あいだ』第212号 2014年4月20日 28-31頁PDF
2014100「12支神 午:馬イメージの日本的変貌」『あいだ』第211号 2014年3月20日 31-36頁PDF
201499「遺伝子情報の繭に包まれた蛹はなにを考えるか?:工藤哲巳没後25年回顧展に寄せて」『あいだ』第210号 2014年1月20日 35-42頁PDF
201398「カタルーニャのジャポニスム:バルセロナ・カイシャ・フォーラムでの展覧会より(後)」『あいだ』第207号 2013年9月20日 12-18頁PDF
201397「カタルーニャのジャポニスム:バルセロナ・カイシャ・フォーラムでの展覧会より(前)」『あいだ』第206号 2013年8月20日 18-22頁PDF
201396「観光案内に載らないパリ案内(下)日曜日と月曜日、たった2日で廻れる、知られざる街中の秘境」『あいだ』第203号 2013年5月20日 32-34頁PDF
201395「観光案内に載らないパリ案内(中)日曜日と月曜日、たった2日で廻れる、知られざる街中の秘境」『あいだ』第202号 2013年4月20日 21-26頁PDF
201394「観光案内に載らないパリ案内(前)日曜日と月曜日、たった2日で廻れる、知られざる街中の秘境」『あいだ』第201号 2013年3月20日 19-23頁PDF
201393「日本の美術表現にみる蛇:祝您蛇年快楽」『あいだ』第200号 2013年2月20日 17-23頁PDF
201392「『バッタモン』の再来,Battamon Returns: 翻訳の政治学と全球化への抵抗(2)」『あいだ』第199号 2013年1月20日 19-26頁 PDF
201291「『バッタモン』の再来,Battamon Returns: 翻訳の政治学と全球化への抵抗」『あいだ』第198号 2012年12月20日 12-22頁PDF
201290「東アジアの陶藝はどこにゆくのか」『あいだ』第197号 2012年10月20日 21-26頁PDF
201289「「愛の錠前」に占拠されたパリの橋:脱美術館と観衆との「あいだ」を考える」『あいだ』第196号 2012年9月20日 17-19頁PDF
201288「世界美術史の海賊史観にむけて(3):文明の海洋史観を越えて:Pirates Views of the World Art History: beyond Oceanic View of the Civilizations 国際会議「インド洋、海賊と美術史」Piracy, Art History and the Indian Ocean シドニー大学 2012年3月21-23日より」『あいだ』第194号 2012年6月20日 15-27頁PDF
201287「世界美術史の海賊史観にむけて(2):文明の海洋史観を越えて:Pirates Views of the World Art History: beyond Oceanic View of the Civilizations 国際会議「インド洋、海賊と美術史」Piracy, Art History and the Indian Ocean シドニー大学 2012年3月21-23日より」『あいだ』第193号 2012年5月20日 26-29頁PDF
201286「世界美術史の海賊史観にむけて(1):文明の海洋史観を越えて:Pirates Views of the World Art History: beyond Oceanic View of the Civilizations 国際会議「インド洋、海賊と美術史」Piracy, Art History and the Indian Ocean シドニー大学 2012年3月21-23日より」『あいだ』第192号 2012年4月20日 12-17頁PDF
201285「日本美術の中の「龍」」:旧暦「辰」年にちなみ」『あいだ』第190号 2012年2月20日 18-25頁 PDF
201284「ハリーコ・アダッチオの夢世界:あるアマチュア日曜陶藝家の生活と意見」『あいだ』第189号 2012年1月20日 29-34頁PDF
201183「相互浸透する北米アジア研究の現状と、閉塞する日本研究人文学の凋落と:第70回北米アジア研究学会ホノルル大会・傍聴記(その4 ・最終回)」 『あいだ』第185号 2011年7月20日 30-37頁PDF
201182「相互浸透する北米アジア研究の現状と、閉塞する日本研究人文学の凋落と:第70回北米アジア研究学会ホノルル大会・傍聴記(その3)」 『あいだ』第184号 2011年6月20日 17-22頁PDF
201181「相互浸透する北米アジア研究の現状と、閉塞する日本研究人文学の凋落と:第70回北米アジア研究学会ホノルル大会・傍聴記(その2)」 『あいだ』第183号 2011年5月20日 31-37頁PDF
201180「相互浸透する北米アジア研究の現状と、閉塞する日本研究人文学の凋落と:第70回北米アジア研究学会ホノルル大会・傍聴記(その1)」 『あいだ』第182号 2011年4月20日 22-29頁PDF
201179「恥辱としての文化遺産:浅川巧の墓に」『あいだ』第181号 2011年3月20日 16-24頁PDF
201178「日本絵画のなかの兎:図柄の博物誌」『あいだ』第180号 2011年2月20日 19-24頁PDF
201077「彫刻から廃品再生金属織物へ:From Sculpture to Scrapture 「エル・アナツイのアフリカ展」に寄せて」『あいだ』第178号 2010年11月20日 21-30頁PDF
201076「物質の裡に精神は宿るか:漱石『夢十夜』の運慶とミケランジェロの詩」『あいだ』第175号 2010年8月20日 21-25頁PDF
201075「仏教的涅槃と超現実主義の射程:三岸好太郎《海と射光》新解釈の提案」『あいだ』第173号 2010年6月20日 25-28頁PDF
201074「蘇生する化石・跳梁する塊 大学博物館で現代美術展?:京都大学総合博物館「物からモノへ」展より」『あいだ』第172号 2010年5月20日 2-17頁PDF
201072「聴き書きは何をめざすか? オーラル・アート・ヒストリーの可能性 2009年11月14日/ 国立国際美術館」『あいだ』第170号 2010年3月20日 15-20頁PDF
201071「小松清のヴェトナム」『あいだ』第168号 2010年1月20日 25‐27頁PDF
200970「藝術という名の「枠組み」を問い直す:鼓常良Rahmenlosigkeit 再考」『あいだ』第165号 2009年10月20日 34‐40頁PDF
200969「エミール・ガレと万国博覧会:十九世紀末ガラス産業の社会的認知闘争にまつわる備忘録メモ」『あいだ』第164号 2009年9月20日 22-28頁PDF
200968「現代において「デッサン」とは「技法」なのか?:そうでないなら、「デッサン」には、いかなる可能性があるのだろうか?」『あいだ』第162号 2009年7月20日 33-39頁PDF
200967「アカデミズムの世紀――フランス公式絵画再訪:島根県立美術館・会館10周年記念『フランス絵画の19世紀』に寄せて(2)」『あいだ』第161号 2009年6月20日 31-43頁PDF
200966「アカデミズムの世紀――フランス公式絵画再訪:島根県立美術館・会館10周年記念『フランス絵画の19世紀』に寄せて(1)」『あいだ』第160号 2009年5月20日 36-43頁PDF
200965「古寂びを帯びる《束の間》フランスから見る伊勢神宮(その2):『日本の美学:時の働き――痕跡と断片』ミュリエル・ラディックの著書をめぐる公開円卓会議より」『あいだ』第159号 2009年4月20日 13-22頁PDF
200964「古寂びを帯びる《束の間》フランスから見る伊勢神宮:『日本の美学:時の働き――痕跡と断片』ミュリエル・ラディックの著書をめぐる公開円卓会議より(1)」『あいだ』第157号 2009年2月20日 13-20頁PDF
200963「発散と収縮 『セザンヌ主義:父と呼ばれる画家への礼賛』横浜美術館ほか」『あいだ』第156号 2009年1月20日 13-20頁PDF
200862「記憶収蔵庫はどこにあるのか?:第32回文化財の保存及び修復に関する国際研究集会 「“オリジナル”の行方:文化財アーカイヴ構築のために」雑感」『あいだ』第155号 2008年12月20日 21-29頁PDF
200861「華厳経と現代美術 相互照射の試み(その3:生命の流沙)第2回国際華厳会議(フランス・ベレバ)発表論文」『あいだ』第154号 2008年11月20日 12-19頁PDF
200860「華厳経と現代美術 相互照射の試み(その2:地獄門)」第2回国際華厳会議(フランス・ベレバ)発表論文」『あいだ』第153号 2008年10月20日 25-35頁PDF
200859「華厳経と現代美術 相互照射の試み(その1)第2回国際華厳会議(フランス・ベレバ)発表論文」『あいだ』第152号 2008年9月20日 21-27頁PDF
200858「お茶の東西・茶の湯はどこまで世界に通用するか」『あいだ』第149号 2008年6月20日 24-25頁PDF
200857「トポロジー空間のなかの21世紀世界美術史:国際美術史学会の最新動向瞥見(4)メルボルンにおける第32回大会「文化を横切って:葛藤・渡り・収斂」から」『あいだ』第148号 2008年5月20日 27-32頁PDF
200856「トポロジー空間のなかの21世紀世界美術史:国際美術史学会の最新動向瞥見(3)メルボルンにおける第32回大会「文化を横切って:葛藤・渡り・収斂」から」『あいだ』第147号 2008年4月20日 24-31頁PDF
200855「トポロジー空間のなかの21世紀世界美術史:国際美術史学会の最新動向瞥見(2)メルボルンにおける第32回大会「文化を横切って:葛藤・渡り・収斂」から」『あいだ』第146号 2008年3月20日 24-30頁PDF
200854「トポロジー空間のなかの21世紀世界美術史:国際美術史学会の最新動向瞥見(1)メルボルンにおける第32回大会「文化を横切って:葛藤・渡り・収斂」から」『あいだ』第145号 2008年2月20日 18-24頁PDF
200753「暗黒と黎明:ニコラ・プッサン《蛇に殺された男のいる風景》をめぐる断章――T.J.クラーク『死の光景:アート・ライティングのひとつの実験』の余白に」『あいだ』第143号 2007年12月20日 24-29頁PDF
200752「国際協調主義と国粋主義とのあいだ:島崎藤村の南米(下)なぜ日本ペンクラブ初代会長は1936年ブエノス・アイレス講演で雪舟を論じたのか」『あいだ』第142号 2007年11月20日 16-23頁PDF, PDF
200751「国際協調主義と国粋主義とのあいだ:島崎藤村の南米(上)なぜ日本ペンクラブ初代会長は1936年ブエノス・アイレス講演で雪舟を論じたのか」『あいだ』第140号 2007年9月20日 14-18頁PDF, 参考資料
200750「博物館の夜にミネルヴァの梟はどこを目指して飛ぶのか?:植民地主義の図像学を,歴史の暮れ方から振り返る― アメリカ自然史博物館ルーズヴェルト・ホールの壁画をめぐる詮索若干」『あいだ』第139号 2007年7月20日 28-44頁PDF
200749「国境を跨ぐ交渉と規範の葛藤と:東アジア近代美術研究の将来にむけて Ⅲ―AASアジア研究学会ボストン年次大会・報告」『あいだ』第138号 2007年6月20日 21-24頁PDF
200748「国境を跨ぐ交渉と規範の葛藤と:東アジア近代美術研究の将来にむけて Ⅱ―AASアジア研究学会ボストン年次大会・報告」『あいだ』第137号 2007年5月20日 27-32頁PDF
200747「国境を跨ぐ交渉と規範の葛藤と:東アジア近代美術研究の将来にむけて Ⅰ―AASアジア研究学会ボストン年次大会・報告」『あいだ』第136号 2007年4月20日 20-25頁PDF
200746「メロン・レクチャー瞥見 サイモン・シャーマの連続講演から」『あいだ』第134号 2007年2月20日 17-23頁PDF
200645「イメージ解釈学の隠蔽に西欧20世紀文化史の犯罪を摘発する」『あいだ』第128号 2006年8月20日 22-26頁PDF
200645「ジョルジュ・ディディ=ユベルマン著『残存するイメージ アビ・ヴァールブルクによる美術史と幽霊たちの時間』を読む」『あいだ』第132号 2006年12月20日 8-27頁PDF
200644「異装・狂気・蕩尽:藝術という名のポトラッチ」『あいだ』第126号 2006年6月20日 25-29頁PDF
200643「表象による憎悪を断ち切るために―国際シンポジウム「戦争と表象/美術 20世紀以降」より(下)」『あいだ』第124号 2006年4月20日 15-22頁PDF
200642「表象による憎悪を断ち切るために―国際シンポジウム「戦争と表象/美術 20世紀以降」より(上)」『あいだ』第123号 2006年3月20日 37-42頁PDF
200641「パンドラの希望:被写体・母胎そして楕円―G・ポロック初来日講演に寄せて」『あいだ』第122号 2006年2月20日 11-18頁PDF
200640「フランスと日本のあいだ:「美術史におけるフランスと日本」」『あいだ』第121号 2006年1月20日 29-35頁PDF
200539「Anch’io son’pittore! 余もまた画家なり:黒田重太郎覚書(下)」『あいだ』第120号 2005年12月20日 35-39頁 PDF
200538「Anch’io son’pittore! 余もまた画家なり:黒田重太郎覚書(中)」『あいだ』第119号 2005年11月20日 14-18頁PDF
200537「Anch’io son’pittore! 余もまた画家なり:黒田重太郎覚書(上)」『あいだ』第118号 2005年10月20日 30-33頁PDF
200536「漂流物からブリコラージュへ:日常の営みから美術館の壁を取り払う」『あいだ』第116号 2005年8月20日 32-38頁PDF
200535「アジアの潜在力:舟としての島々と母胎としての海」『あいだ』第115号 2005年7月20日 27-31頁PDF
200534「戦争画と平和画のあいだ:歴史の中の絵画作品の運命―丸木位里・俊夫妻「原爆の図」再考(下)」『あいだ』第114号 2005年6月20日 31-34頁PDF
200533「戦争画と平和画のあいだ:歴史の中の絵画作品の運命―丸木位里・俊夫妻「原爆の図」再考(上)」『あいだ』第113号 2005年5月20日 39-44頁PDF
200532「幽玄、ワビ、サビ:「日本的なるもの」の創生とその背景」『あいだ』第111号 2005年3月20日 27-30頁PDF
200531「古傷に宿る光:やきものと彫刻との亀裂に八木一夫を読む」『あいだ』第109号 2005年1月20日 35-41頁PDF
200430「隣国の小さな宝物箱:金煥基美術館を訪問する」『あいだ』第108号 2004年12月20日 16-18頁PDF
200429「自己懲罰の裁判記録-過程と変奏:アンリ・マティス展より」『あいだ』第107号 2004年11月20日 23-31頁PDF
200428「歴史の珍品とその命運:新発見の日独合作フイルム『武士道』(1926)をめぐって」『あいだ』第105号 2004年9月20日 29-34頁PDF
200427「炎の育む金属の水滴が呉須の青い磁肌の表面に結露するー近藤高弘氏の工房探訪」『あいだ』第104号 2004年8月20日 39-43頁PDF
200426「尺度をつかさどるのは誰か―フーコーの振り子の傍らで」『あいだ』第103号 2004年7月20日 34-39頁PDF
200425「名作誕生の舞台裏―江戸時代後期『北越雪譜』出版の顛末から」『あいだ』第102号 2004年6月20日 29-32頁PDF
200424「五月病の季節を迎えて:美術大学入学者の意識調査入学時点希望調査 将来計画等累計」『あいだ』第101号 2004年5月20日 29-35頁PDF
200423【書評】「木槿食ふ馬―超高級ブランド志向の社会心理と他文化販売戦略との文― 書評 戸矢理衣奈著『エルメス』」『あいだ』第100号 2004年4月20日 40-42頁PDF
200422「パーフォーマンスとしてのチャンバラ」『あいだ』第99号 2004年3月20日 30-36頁PDF
200421「美術館教育から視覚文化教育とその彼方へ―国際シンポジウム「鑑賞教育はいかにあるべきか」より」『あいだ』第98号 2004年2月20日 19-25頁PDF
200420「黄金の三角地帯を目指して―『色の音楽・手の幸福:ロラン・バルトのデッサン展』関連国際シンポジウム 「バルト/共感覚の地平」から」『あいだ』第97号 2004年1月20日 32-35頁PDF
200319「21世紀の日本武道の行方」『あいだ』第96号 2003年12月20日 29-33頁PDF
200318「ある家元の生活と意見―15代樂吉左衛門宅訪問記」『あいだ』第95号 2003年11月20日 28-31頁PDF
200317「波と屏風そして西陣の錦―クラクフからの晩夏の便り」『あいだ』第93号 2003年9月20日 24-27頁PDF
200316「意味の生成:イメージとテクストのかかわりを読み解くうえで―ポール・ゴーギャン《メイエル・デ・ハーンの肖像》を例として」『あいだ』第92号 2003年8月20日 26-30頁PDF
200315「〈知の共有財産・展覧会カタログの現在―制作から批評まで〉を聞いての愚感」『あいだ』第91号 2003年7月20日 23-28頁PDF
200314「詩の翻訳は化膿か?―金素雲『朝鮮詩集』の訳業と土田麦僊の風俗画を繋ぐもの―植民地絵画の読解のために」『あいだ』第90号 2003年6月20日 7-10頁PDF
200313「職人としての藤田嗣治」『あいだ』第89号 2003年5月20日 31-35頁PDF
200312【書評】「<書評>天野知香 『装飾/芸術』(後)」『あいだ』第88号 2003年4月20日 29-32頁PDF
200311【書評】「<書評>天野知香 『装飾/芸術』(前)」『あいだ』第87号 2003年3月20日 19-21頁PDF
200310「文人画の終焉と再文人画の終焉と再覚醒 --富岡鐡齏晩年の文人画・南画の国際評価覚醒―富岡鉄斎晩年の文人画・南画の国際評価」『あいだ』第86号 2003年2月20日 34-37頁PDF
20029「小さな欧州文化都市の伝統と革新―サラマンカ便りその2―」『あいだ』第84号 2002年12月20日 21-24頁PDF
20028「サマランカ便り―2002年欧州文化首都の現状と仮題」『あいだ』第83号 2002年11月20日 33-35頁PDF
20027「ユヴァスキュラをあとに―「あいだ」を感じるフィンランド建築紀行」『あいだ』第81号 2002年9月20日 33-36頁PDF
20026「理念なき「国際文化交流」からの脱皮のために」『あいだ』第80号 2002年8月20日 33-35頁PDF
20025「岡倉天心のもうひとりの「お母さん」―シスター・ニヴェディータのことども」『あいだ』第79号 2002年7月20日 23-25頁PDF
20024「インドを呼吸した女流画家―秋野不矩の画業を回顧する」『あいだ』第78号 2002年6月20日 15-17頁PDF
20023「可能世界としてのフィクション」『あいだ』第77号 2002年5月20日 32-33頁PDF
20022「規則と習熟のキアスム―藝術の終焉を語るまえに」『あいだ』第76号 2002年4月20日 34-35頁PDF
20021「藝術の誕生」『あいだ』第75号 2002年3月20日 20-21頁PDF